最大限努力する人を愛して下さる神様(God who loves those who make the greatest effort)

English below

ラプトさんの御言葉を学んで、

これまでのクリスチャンのイメージが覆された面が多々あるのですが、

今回お伝えする内容はその中でも、

一番に思ってもいないことだったと言って良いと思います。

この世のクリスチャンたちの多くは、そのほとんどが形ばかりの祈りを捧げます。
 
また、自分ではほとんど何の努力もしないで、神様に全てを丸投げするような祈りを捧げるクリスチャンも大勢います。
 
しかし主は、自分の力で最大限努力した上で、どうしても自分の力では突破できない限界を突破できるように心からすがりつく者の祈りを聞かれます。
 
自分の力で何もやろうともしないで、ただ主にやってほしいと祈り求める者は、主に依り頼んでいるのではなく、主に指示を出し、主に命令する者だと主は見なして、その人の祈りを聞かないどころか、むしろその人を怠惰な者、傲慢な者だと見なして裁いてしまいます。

RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。<ラプトさんの説明文より抜粋>

クリスチャンになるとは、基本的には毎日お祈りをして、

罪を犯さないようにして、

犯してしまった時は素直に悔い改めて、心を清め、

神様を信じ、愛して生きていけばそれで良いのかと、漠然と捉えていました。

信仰を持って初期の頃はそれで良いかもしれませんが、

ラプトさんの伝えて下さる御言葉が真理と感じて学んでいくに従って、

信仰歴が長くなればなる程、

瞬間瞬間、神様を意識して、神様に喜んで頂けるよう、

毎日の努力が必要なのだと知りました。

神様は神様のために最大限努力する人を、愛おしんで愛して下るのだと分かったのです。


彼(ラプトさん)は、先ずは自分自身が最大限の努力をしなければ、私に頼っても私が助けてくれないということを分かっているし、最大限の努力をした上で私を心から呼び求めるなら、私が喜んで助けてくれるということを体験を通して身をもって分かっている。
 
そして、常にそのような生き方をしなければ、私から喜ばれないということも知っている。
 
25年の練達の期間に、彼はこのことを嫌というほど叩き込まれてきたのだ。
 

RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。<抜粋>

ラプトさんは25年間の練達を経て尚、

ほぼ毎日、私たちのために啓示を伝えて下さっています。

私たちはこれまでたくさん伝えて下さった御言葉を学びながら、

信仰生活を送ることが出来ますが、

ラプトさんは、ラプトさんの先生に当たる牧師様がいらっしゃったとは言え、

今私たちが知り得ている御言葉の内容をはっきりとは分からないまま、

まさにご自身が最大限の努力を積み上げることによって信仰生活を経て、

その実力を身に付け、神様からも最大限の祝福を得ていらっしゃるとのだと考えると、

本当に常人では耐えられないような、想像を絶する25年間だったのではないかと思います。

そしてだからこそ、

ラプトさんからの御言葉を賜り、この世の様々なカラクリを知った上で、

信仰生活を送ることの出来る現代の私たちは、本当に恵まれた状態にあるのだと思います。

改めて、喜びと感謝の気持ちが絶えることはありません。



あなたたちは自分が何の努力もしていないのに、あるいは適当にしか努力していないのに、私に祈れば助けてくれるなどと安易なことを考えてはいけない。
 
私はあなたたちが100パーセント、いや1000パーセントの努力をしたときに初めて、ようやくあなたたちに助けの手を差し伸べる神だということを悟らなければならない。
 
しかも、あなたたちが祈るときも、ただ適当に形だけの祈りを捧げるのではなく、心の底から真摯に私の助けを求めたときに、ようやく初めて助けの手を差し伸べるのだということを悟らなければならない。
 
私は常に全力で走っている神だ。
 
なのに、あなたたちが適当にやっていて、どうして私があなたたちに助けの手を差し伸べたいと思うだろうか。
 

RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。<抜粋>

適当な努力程度では、神様に届かない。

神様のスピードに合わせられるよう、こちらが全力で走ることが、

神様が私たちに求めていらっしゃる信仰の最低ラインなのだと知りました。

ただお祈りして、心を清めていれば良いのではなくて、

神様に喜んで頂くため、自分自身が100%、1000%努力する。

そして初めて神様が手を差し伸べて下さり、

私たちが持っている以上の力を発揮できるようになる、と言うことだと思います。



あなたたち人間にも、人間の力でできることと、人間の力ではできないことがある。
 
神である私はその限界線を知っているので、あなたたち人間が自分の力でできることを最大限やろうとしているとき、私もこの人は本当に私のためによく頑張っていると思い、その人を心から助けてあげたいと考える。
 
そして、その人が心からへりくだって私に祈り求め、全力で私を呼び求めるなら、私は実際にその人に助けの手を差し伸べてあげる。
 

RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。<抜粋>

「自分で出来ることを、まず100%尽くして最大限やる」とは、

当たり前と言えば当たり前のことのようですが、なかなかこれが難しく感じてしまいます。

これも世が作り出した風潮が、「努力する」ことを邪魔している面も、

少なからずあるような気がしています。

日本では、「出来る範囲で…」とか、「出来なくても大丈夫」とか、

あるいは「楽して」、「得するように」など、

「無理しないで勝てる方法」とでも言うような風潮が、蔓延っているように感じるのです。

一生懸命頑張ることはむしろガツガツしていて、場合によっては人生を楽しんでおらず、

今ひとつ格好悪いようなニュアンスを持っていると言いましょうか…。

そのため多くの人が、「頑張ることは大変だ、自分には無理だ」と、

すぐに諦めるような体質になってしまっている気がします。

ところが神様は、まず神様のために最大限一生懸命頑張る人をお認めになるのだと、

この御言葉で知ることが出来ました。

これは、私にとって大きな救いの1つです。

簡単な事ではないですが、人は努力しなければ成長は出来ません。

時々は休憩も必要だとは思いますが、

実際に実力をつけて幸福に生きるためには、やはり地道な努力が必要だと思います。

難しく感じるのは、結局、

我々人類がそれだけ堕落してしまっているからではないでしょうか。

神様のため、まずは思いを込めて100%の努力をすることが、

神様に造って頂いた人類本来の務めであり、

また、恵みなのではないかと考えるようになりました。



あなたたちはこのように人間の行うべき責任分担と、神の行うべき責任分担がきちんと分かれているのだということを理解しなさい。
 
私はあなたたちが全力でやってもどうしてもできない部分にのみ手を差し伸べて、あなたたちが限界を突破できるようにしてあげる神だ。
 
しかし、限界にぶつかるまで努力しようともせず、最初から私に全てを丸投げにするような者は、私を顎で使う者であり、私に指図をし、私に命令する者だと見なして、私はその人の祈りを叶えてあげないし、むしろその人を裁いてしまうだろう。
 
私は何の努力もしないで成功を勝ち取ろうなどと考える者をどこまでも忌み嫌う。
 
あなたたちはこのことを十分に理解し、弁えなさい。
 
このことをきちんと分かった上で、最大限努力し、最大限私を呼び求めなら、私はその人のために喜んで一肌脱いであげるだろう。
 
そして、その人の祈りを強力に叶えてあげるだろう。
 

RAPT有料記事395(2019年8月5日)大して努力もしていない人に、主は助けの手を差し伸べて下さらない。自分の限界に達するまで努力した人だけを、主は憐れに思って助けてくださる。<抜粋>

ラプトさんの伝えて下さる、たくさんの御言葉のお陰で、

まずは、出来ることは全部やったと思えるほどの、

最大限の努力をしなければいけないのだと気づけたことに感謝致します。

自分のために生きるのではなく、

神様のため、神様に喜んで頂ける人生を目指して走れますように。

全世界の人々に、

この真理と愛の御言葉が届きますようにお祈り致します。


  
わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。
何とかして捕らえようと努めているのです。
自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。


兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、


神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、
目標を目指してひたすら走ることです。


<新約聖書 フィリピの信徒への手紙  3章 12-14節>


御言葉の全文は、こちらからどうぞ

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ラプトさんよる、

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(rapt-neo.com)


最後までお読み下さり、

ありがとうございました。


There are many aspects of studying Rapt's Word that have overturned my previous image of Christianity, but I think it is safe to say that what I am about to share with you was the most unexpected of them all.

Most Christians in this world offer mostly token prayers.

There are also many Christians who make little or no effort on their own, and who pray as if they are throwing everything to God.

However, the Lord hears the prayers of those who make the utmost effort in their own strength and then hang on with all their hearts to break through the limits that they cannot break through by their own strength.

The person who does not even try to do anything in his/her own strength, but only prays to the Lord to do it, the Lord will not hear his/her prayer, but rather will judge him/her as lazy and arrogant, because the Lord sees him/her as someone who gives instructions to the Lord and commands the Lord, rather than relying on the Lord.

RAPT Paid RAPT Paid Article 395 (August 5, 2019) The Lord does not extend His helping hand to those who have not made much effort. Only those who have worked hard until they reach their limits, the Lord will take pity on them and help them.<From Rapt's description.

I had a vague idea that becoming a Christian basically meant that I should pray every day, try not to sin, repent honestly when I did, purify my heart, believe in God, and live a life of love, and that would be enough.

In the early days of our faith, that may be fine,


But as I learned and felt the truth of the Word that Rapt conveys, I learned that the longer I have been in the faith, the more I need to be aware of God at each moment and make daily efforts to please Him.

I realized that God lovingly loves those who make the utmost effort for Him.


The following (purple box) is an excerpt from the Word of God.

He(Rapt) realized that he knows that if he does not make the utmost effort himself first, he will not be helped by me even if he depends on me, and that if he makes the utmost effort and sincerely calls out to me, I will gladly help him. He knows firsthand through experience that if he makes the utmost effort and sincerely calls out to me, I will be happy to help him.

He also knows that if he does not always live in this way, he will not be pleased with me.

During his 25 years of training, he has had this drilled into him to the point of disgust.

RAPT Paid Article 395 (August 5, 2019) The Lord does not extend His helping hand to those who have not made much effort. Only those who have worked hard until they reach their limits, the Lord will take pity on them and help them.(Excerpts)

Even after 25 years of overcoming Hardship, Rapt is still do continuing to share his revelations from God for us on a daily basis.

We can live our lives of faith while studying the Word that Rapt has shared so much with us.

However, Rapt, even though he had a pastor who was his teacher,

I imagine that Rapt, without knowing clearly the contents of the Word of God that we now know, was going through a life of faith 25years by putting in the utmost effort, acquiring that ability, and receiving the utmost blessings from God as well.

And it must have been an unimaginable hard 25 years, which no ordinary person could have endured.

And that is why I believe that we are in a truly blessed state today, who are able to live a life of faith after receiving the Word of God from Rapt and knowing the various mechanisms of this world.

Once again, I am filled with joy and gratitude for God and Rapt.


You must not think that even if you pray to me, I will help you when you have made no effort or only a moderate effort.

You must realize that I am a God who will only extend a helping hand to you when you have made 100 percent, or even 1,000 percent effort.

Moreover, you must realize that when you pray, you are not just offering a perfunctory and token prayer, but when you sincerely ask for my help from the bottom of your heart, I will finally extend my helping hand for the first time.

I am God who is always running as fast as I can.

Yet, why would I want to extend a helping hand to you if you are going to be lazy?

RAPT Paid Article 395 (August 5, 2019) The Lord does not extend His helping hand to those who have not made much effort. Only those who have worked hard until they reach their limits, the Lord will take pity on them and help them.(Excerpts)

A little effort is not enough to reach God.

We must run as fast as we can so that we can catch up with God's speed.

I learned that this is the minimum line of faith that God requires of us.

It is not enough to just pray and purify our hearts, but to make 100% or 1000% effort ourselves to please God.

Only then can God reach out to us and give us more power than we have, I believe.


There are things that you human beings can do with your human power and things that you cannot do with your human power.

I, as God, know the limit line, so when you human beings are trying to do the best you can by your own strength, I also think that this person is really doing well for me, and I sincerely want to help that person.

And if that person sincerely prays to me in humility and calls out to me with all his/her might, I will actually extend a helping hand to that person.

RAPT Paid Article 395 (August 5, 2019) The Lord does not extend His helping hand to those who have not made much effort. Only those who have worked hard until they reach their limits, the Lord will take pity on them and help them.(Excerpts)

It may seem obvious to say, "First of all, do what you can do to the best of your ability to the best of your 100%", but this may seem difficult to do.

I feel that this is also due in no small part to the tendency created by the world to get in the way of "making an effort".

In Japan, I feel that there is a widespread tendency to say "as much as you can…", "it's okay if you can't do it", or "have fun", "try to gain", etc., as if it were "a way to win without overdoing it".

I feel that working hard is not smart, it is hot and in some cases, it has a nuance of not enjoying life and being uncool….

Therefore, I feel that many people have developed a disposition to give up immediately, saying that working hard is too hard, that it is impossible for us.

However, I have learned from this Word that God first recognizes those who work our hardest to the utmost for Him.

This is one of the great salvations for me.

Ofcourse it is not easy, but we cannot grow if we do not try.

I know we need to take a break from time to time, but to actually gain competence and live happily, we still need to make a steady effort.

The reason why it seems difficult is probably because we, the human race, have become so corrupted after all.

I have come to think that it is the original duty and grace of mankind, created by God, to put 100% of our heart and effort for God first.


You must understand that there is a division of responsibility between human beings and God.

I am the God who reaches out only to those areas in which you are unable to do your best and enables you to break through your limitations.

However, those who do not even try to make an effort until they hit the limit and throw everything to me from the beginning, I will not grant their prayers, rather I will judge them, because I see them as those who use me as a jaw-dropper, those who tell me what to do and command me.

I abhor to the utmost those who think they can achieve success without any effort.

You must fully understand this and be aware of it.

If you know this, make the utmost effort, and call on me to the utmost extent, I will gladly pitch in and help that person.

And I will powerfully fulfill his/her prayer.

RAPT Paid Article 395 (August 5, 2019) The Lord does not extend His helping hand to those who have not made much effort. Only those who have worked hard until they reach their limits, the Lord will take pity on them and help them.(Excerpts)

Thanks to the many God's Word that conveyed by Rapt, I am grateful that I realized that I must first make the utmost effort to feel that I have done all that I can do.

May we not live for ourselves, but for God, and may we run toward a life that will please God.

I pray that this Word of truth and love will reach people all over the world.


Not that I have already attained, or am already perfected; but I press on, that I may lay hold of that for which Christ Jesus has also laid hold of me.	


Brethren, I do not count myself to have apprehended; but one thing I do, forgetting those things which are behind and reaching forward to those things which are ahead,


I press toward the goal for the prize of the upward call of God in Christ Jesus.

<Philippians 3 :12-14>


The text of the Word can be found here

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Thank you for reading to the end!

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